2016年07月08日
川窪淡路守(源朝臣信氏)
武田(川窪)兵庫頭源朝臣信實公の軌跡・・・
市立図書館で色々と調べ、信濃の城と館(松本・塩尻・筑摩)編 宮坂武男著および、大正八年の東筑摩郡誌の城の行から、その名前を発見した時には、本当にうれしい思いでした。 極秘伝来資料から、間違いなく武田晴信公(お館様)が信濃侵攻で、現在の塩尻市西条地区一帯を制圧したのは、ほぼ天分17年ごろになると思います。そのさいに、甲斐軍団は北熊井一本杉から大宮八幡や赤城山一帯に布陣。そんな歴史をたどります。その西条地区は信府(松本)から諏訪や伊那方面へのかなめとして、小笠原家が城を築いていましたが、これを制圧しこの要所に弟である、武田信實一派を置きます。上野山城は信實が城主となり、やがてはここを起点に信濃制圧、木曽方面には本体は比叡山付近に布陣。などと続き、やがて永禄8年には西福寺やこの前後に三嶽神社もつくり、この地を治めます。やがて運命の天正3年、長篠で信實は討ち死。翌4年に勝頼公からここを七〇〇貫文で知行されたのが、川窪淡路守源朝臣信氏。この年一三歳。内室は一条信龍の養女(実晴信の子女)。このつながりにより、天正一〇年の甲斐討伐では、信氏は一九歳の若さで一条館で討ち死。最後まで勝頼公を裏切らず戦ったと思います。
上野山城のいきさつは城主不明等と殆どは記載されていますが、小笠原家から川窪武田家が変わる事になり、ここには信實、信氏そして太郎義信の子、信全が館を持っていました。川窪信實家は、徳川旗本からやがて武田に復姓した信俊家と、塩尻後で今も続く信氏家、信全家が甲斐川窪一族の起こりでした。やがて武田家滅亡後、川窪から小笠原家が復権すると、小笠原家配下として大坂の陣で討ち死した一族もいたわけです。川窪信全の内室は小笠原宗春の息女。やがて、信全の嫡男は小笠原家に養子。お互いもとは摘。政略結婚の人質になった様な時代でした。と、まあこの話は色々とまだまだライフワークとして調べて行きますが、塩尻市一帯は要とされて統治されたことが分かります。信實の館は古府中(躑躅が崎周辺)に、兄弟の中で唯一無いとは思いましたし、その存在すら極秘レベル。義信の子と、塩尻西条での密かな隠密行動など、信濃侵攻の先陣偵察行動を担っていたこともつじつまが合っています。歴史は想像することもまた楽しい。ここでした調べられない、わからない川窪武田家や晴信公の事。戦国期の事はまだまだいろんな事実があるのでしょう。面白いライフワークです。

上野山城のいきさつは城主不明等と殆どは記載されていますが、小笠原家から川窪武田家が変わる事になり、ここには信實、信氏そして太郎義信の子、信全が館を持っていました。川窪信實家は、徳川旗本からやがて武田に復姓した信俊家と、塩尻後で今も続く信氏家、信全家が甲斐川窪一族の起こりでした。やがて武田家滅亡後、川窪から小笠原家が復権すると、小笠原家配下として大坂の陣で討ち死した一族もいたわけです。川窪信全の内室は小笠原宗春の息女。やがて、信全の嫡男は小笠原家に養子。お互いもとは摘。政略結婚の人質になった様な時代でした。と、まあこの話は色々とまだまだライフワークとして調べて行きますが、塩尻市一帯は要とされて統治されたことが分かります。信實の館は古府中(躑躅が崎周辺)に、兄弟の中で唯一無いとは思いましたし、その存在すら極秘レベル。義信の子と、塩尻西条での密かな隠密行動など、信濃侵攻の先陣偵察行動を担っていたこともつじつまが合っています。歴史は想像することもまた楽しい。ここでした調べられない、わからない川窪武田家や晴信公の事。戦国期の事はまだまだいろんな事実があるのでしょう。面白いライフワークです。
2016年07月05日
スマホのカメラ
スマホのカメラも使い方次第? 逆さにして写してみるとこれが意外に良い感じでした。
いつもと違う写真が撮れる気がします。空の色や背景、オートバイも含めていつもに比べて露出もうまく出来た(自動だが)そんな気がしました。昨日の草刈り疲れは無くて良かった気がします。ここで一服し本日こそビーナスラインだな~と思っては見たのですが、ミニラ1号と共に不在者投票やらその他もろもろと、色々所要があるので断念。
朝のひと時だけオートバイを走らせて見ました。しかし暑い。メッシュのジャケットの効果は一瞬で分からなくなりました。夜間走行になると冷えすぎるのが信州だとは思いますが・・・ 久しぶりにこれを走らせましたが、やはり乗って楽しいオートバイです。ニンジャも良いけど・・・ さて、次回はSRのスマホ逆さ写真でも撮ろうかと思いました。
それから・・・ 今日の不在者投票は、人生初選挙となるミニラ1号(長女ね)を引き連れて選挙。新まいの投票者に信毎の出口アンケート依頼があり、嫌だとか言いながら答えているのは、ちょっと面白かったですね。そしてその後は、突然資料を見つけに図書館へ。新しい図書館には初めて行きました。そしたらついに!武田家統治が始まった天分年代のいきさつや、上野山城などの事を書いた書籍を見つけました。上野山城は溝口氏(小笠原配下)⇒川窪淡路守。そして武田家滅亡の天正10年以降は再び小笠原家。 そして、太郎義信の子、信實預とされた信全の内室は、小笠原宗春の息女。まさに政略結婚だったのだろうと思いました。天正3年に信實が長篠で討ち死にし、その7年後の天正10年。甲斐征伐で信氏が討ち死にするまでの間。ここは淡路守信氏が城主だったことが、極秘資料以外で見つける事が出来、なんだかうれしく思っています。
朝のひと時だけオートバイを走らせて見ました。しかし暑い。メッシュのジャケットの効果は一瞬で分からなくなりました。夜間走行になると冷えすぎるのが信州だとは思いますが・・・ 久しぶりにこれを走らせましたが、やはり乗って楽しいオートバイです。ニンジャも良いけど・・・ さて、次回はSRのスマホ逆さ写真でも撮ろうかと思いました。
それから・・・ 今日の不在者投票は、人生初選挙となるミニラ1号(長女ね)を引き連れて選挙。新まいの投票者に信毎の出口アンケート依頼があり、嫌だとか言いながら答えているのは、ちょっと面白かったですね。そしてその後は、突然資料を見つけに図書館へ。新しい図書館には初めて行きました。そしたらついに!武田家統治が始まった天分年代のいきさつや、上野山城などの事を書いた書籍を見つけました。上野山城は溝口氏(小笠原配下)⇒川窪淡路守。そして武田家滅亡の天正10年以降は再び小笠原家。 そして、太郎義信の子、信實預とされた信全の内室は、小笠原宗春の息女。まさに政略結婚だったのだろうと思いました。天正3年に信實が長篠で討ち死にし、その7年後の天正10年。甲斐征伐で信氏が討ち死にするまでの間。ここは淡路守信氏が城主だったことが、極秘資料以外で見つける事が出来、なんだかうれしく思っています。
2016年07月01日
新たに資料を購入
川窪信實殿は本当に資料が無い。手元にあるわずかな、伝来の極秘資料しか手がかりは無し。
色々な資料を調べ探しても、信實についての資料はまるで無い。唯一取りだたされるのは、“長篠の戦い”の中で最近注目されてきている、“鳶ヶ巣山” での出来事位か・・・ 長篠城跡史跡保存館で頂いた資料を見ても、設楽原資料館にも何もない。ガイド資料の年齢・・・信實殿は33歳。手元の秘蔵資料には、御年四十七歳との記載がある。 現代の西暦だと1575年の6月29日が、旧暦天正3年5月21日。この日が命日であるから、逆算すると数え歳を考慮すれば1529年の生まれとなる。もし33なら、1542年の生まれとなる。信虎の5男か7男か10男か、色々あるが自分の資料だと5男で信龍が弟となる事説が正しいと信じている。信龍の養女(実はお館様の女子すなわち、晴信公の子)は、やがて信實の子の一人である信氏に嫁ぐ。その信氏は甲斐征伐で討ち死。場所は甲斐館。一条家は血縁であり嫁の実家でもあるので、一族として最後まで戦ったのである。享年19歳。そして、異母兄と思える信實家家督は新十郎信俊 手元資料は新十郎信孝。こちらもまた、この時19歳。おそらくは信氏が18歳で、異母弟であったはずだ。そんな色々な事を裏付けする資料が欲しい。そんな心境でこの2冊も購入。まあ、信實の事は殆ど記載が無いのが正直なところでした。まだまだ続く・・・そして、今一度長篠へ行く必要がありそうです。

2016年06月29日
修理とお寺さんと・・・
昨日、ここ1か月くらい前からついにというか、ボロボのABSが完全に故障。その顛末は・・・
このタイプのABSはモジュールの中で接触不良となるようです。で、やっと時間がとれたのでモジュールを修理した物とそのまま交換。勿論結果は良好です。モジュールを割って、2か所のコネクターというか、基盤をハンダ着け。予備のモジュールを用意して、修理済みで交換。それにしても、取り付けねじの頭がナメテしまい荒業で修理完了です。この前交換しようとしたら、ねじ用の工具が手元に無く、他で代用したら見事に失敗です。で、昨日はきちんと修理をしました。これでまた大丈夫。代替えかとも思いましたが、ついつい車検取得。XC70かV60CC、またはV70・・・か、V40CC 乗るんなら?乗れるものならか・・・ このいずれかにしたいと考えていますが、お気に入りの愛着あるボロボは、中々手放せそうにありません。
そして、裏趣味?の地震火山地質、というか断層マニアな自分に、確実にライフワークとなりつつある裏趣味第2弾。趣味と言うより、やらねばならぬ事?とか・・・
“武田兵庫頭信實” 信玄公の異母弟にして、その生涯と言うか資料も無い。突如、かの長篠の戦いで討ち死に! この事くらいしか知られてはいません。信玄公が開基した西福寺のご住職にお話を伺いに行ってきたのです。 以前、この場に書いた事もあるのですが、西福寺の後ろは上野山城。そしてののふもとには館があり、西福寺も開基。信濃侵攻でこの場所は武田家の統治下になりました。そして三嶽神社と西福寺。ここに信玄公からの命で、長坂釣閑斉が采配したようです。そしてこの場にとどまったのが信實。上野山城も信實の館も、やがてくる長篠の翌年、天正4年、勝頼公からの知行で信實の後を継ぎ、その子、川窪淡路守源信氏が受け継ぎます。信實家督は、新十郎信俊が継ぎ武田家滅亡後は徳川家の旗本となっていきます。
その一方、信氏は甲斐征伐で討ち死。13歳でこの地で信氏家を開祖し、19歳で生涯を閉じました。 ここでは書ききれない程色々とありますが、ずっと調べていくことになりそうです。断層マニアに続き、戦国武将マニアってか??
“武田兵庫頭信實” 信玄公の異母弟にして、その生涯と言うか資料も無い。突如、かの長篠の戦いで討ち死に! この事くらいしか知られてはいません。信玄公が開基した西福寺のご住職にお話を伺いに行ってきたのです。 以前、この場に書いた事もあるのですが、西福寺の後ろは上野山城。そしてののふもとには館があり、西福寺も開基。信濃侵攻でこの場所は武田家の統治下になりました。そして三嶽神社と西福寺。ここに信玄公からの命で、長坂釣閑斉が采配したようです。そしてこの場にとどまったのが信實。上野山城も信實の館も、やがてくる長篠の翌年、天正4年、勝頼公からの知行で信實の後を継ぎ、その子、川窪淡路守源信氏が受け継ぎます。信實家督は、新十郎信俊が継ぎ武田家滅亡後は徳川家の旗本となっていきます。
その一方、信氏は甲斐征伐で討ち死。13歳でこの地で信氏家を開祖し、19歳で生涯を閉じました。 ここでは書ききれない程色々とありますが、ずっと調べていくことになりそうです。断層マニアに続き、戦国武将マニアってか??
2016年06月13日
メーカー移籍。ヰセキじゃない。クボタ!
まるで何のネタにもなりませんが、ボロボは車検とって継続。19万キロとっくにオーバー。トラクターにお金は飛んだ・・・
ヤンボーメーカーだったのですが、修理を依頼したのは古くなったからJA機械化センター。故障が続く時期にきたし、修理代かかってとどめにロータリーのチェーンがやばそうだし・・・いつののオヤジさん(自分も十分オヤジ)に「そろそろ買い替え時期だ~! 安くするし下取りするよ」の言葉に、私の製造者(母ね)は、まるでおれおれ詐欺に合うかのように・・・買う気満々になり。しまいにゃ「また20年以上使うなら、今しかにゃーわ」と、伊勢湾台風で三川反乱の中、命からがら脱出してから60年以上か?経っても、まれに出る名古屋なまり。笑えるが・・・生まれは近所なのに、戦後15歳くらいから名古屋に行って20代後半まで過ごしただけに今でも口をついて出るらしい。娘、特にミニラ1号(長女ね)は、えびふりゃ~と言われて今でも話題にするくらいにネタになる婆さん。全く話はそれました。もとい、結局自分でも仕方ないなと割り切って・・・クボタにヰセキじゃない、移籍したのでした。試運転では新しいだけあってそれは良いに決まっています。作業はもっと早くなります。これで、ボルボXC70の頭金はすっ飛んで行きました。仕方ないか・・・
2016年04月12日
桜 その2
釣りに行きたいのに、農作業優先になっています。4月の初めの予定外の連休も、農作業が殆ど。って、ツーリングは行きましたが・・・
稲の種まきを終わらせたあと、所要に出かけた帰り道。桜の写真が撮りたくなり寄り道。SRと桜の写真をとりました。先日の川沿いは一眼の感度設定を間違えていたため大失敗。本日は無難に携帯です。 風はつめたいもののやはり春です。次回は1100Sあたりで長篠です。
長篠と言えば、このところテンカラも出来ず・・・ 甲斐武田関連のにわか研究に没頭中。先日は山梨県立博物館で武田二十四将展。ついでに資料室で色々な資料を閲覧してきました。やはり子供の頃に好きだった事は今も興味があると言う事ですね。釣り、オートバイ、日本の歴史。30代以降で加わったのは地震火山断層のにわか研究のみ。他の始まりは小学校から高校生の頃に始まっています。
話は戻り・・・桜も明日からの雨でも頃は終了でしょうか・・・
長篠と言えば、このところテンカラも出来ず・・・ 甲斐武田関連のにわか研究に没頭中。先日は山梨県立博物館で武田二十四将展。ついでに資料室で色々な資料を閲覧してきました。やはり子供の頃に好きだった事は今も興味があると言う事ですね。釣り、オートバイ、日本の歴史。30代以降で加わったのは地震火山断層のにわか研究のみ。他の始まりは小学校から高校生の頃に始まっています。
話は戻り・・・桜も明日からの雨でも頃は終了でしょうか・・・
2016年03月14日
長篠合戦いろいろ
色々と思案しテンカライダーが行く!!とは、別のブログを開設しようかと思案しています。 趣味とは別に色々と調べている事つれづれ・・・
長篠合戦といえば、子供のころから歴史の授業でも教えられ、武田軍団が織田徳川軍に負けた戦い。鉄砲で騎馬隊を打ち負かした戦いとして記憶されている戦い。その、戦いの前哨戦。長篠城を包囲した武田軍の戦いが自分の心をつかんだ。どこかで記録しておこうと思っていたのでした。
塩尻市には、西福寺と言う武田家ゆかりの寺院があります。永禄8年(1565年)に武田信玄公の命により開山された寺院。そして、この近くには三嶽神社もあり、こちらも武田信玄公のゆかりある神社。このころは小笠原氏にかわり武田家がこの地を統治した時代でした。この時代、のちに長篠で討ち死にする事となる、信玄公の異母弟、武田兵庫頭源信實公がこの地に大きくかかわってきます。甲斐武田軍団、戦国最強の騎馬軍団と言われ、武田二十四将など有名な家臣団を抱えていた信玄公。しかし、そのなかで大きく歴史に登場する事も無く、あまり知られていない弟君が信實公です。この信實公が、西福寺や小笠原氏にかわる統治にかかわっていたことは、明確な資料も無く知られていません。さて、その信實公について色々調べると、三州長篠鳶ノ巣砦での戦いを調べずには始まりませんでした。 甲斐源氏武田宗家滅亡の引き金となった長篠。長篠で織田徳川と戦わなければならなくなった原因ともいえる前哨戦。今後、色々と調べてみたいと思っています。

塩尻市には、西福寺と言う武田家ゆかりの寺院があります。永禄8年(1565年)に武田信玄公の命により開山された寺院。そして、この近くには三嶽神社もあり、こちらも武田信玄公のゆかりある神社。このころは小笠原氏にかわり武田家がこの地を統治した時代でした。この時代、のちに長篠で討ち死にする事となる、信玄公の異母弟、武田兵庫頭源信實公がこの地に大きくかかわってきます。甲斐武田軍団、戦国最強の騎馬軍団と言われ、武田二十四将など有名な家臣団を抱えていた信玄公。しかし、そのなかで大きく歴史に登場する事も無く、あまり知られていない弟君が信實公です。この信實公が、西福寺や小笠原氏にかわる統治にかかわっていたことは、明確な資料も無く知られていません。さて、その信實公について色々調べると、三州長篠鳶ノ巣砦での戦いを調べずには始まりませんでした。 甲斐源氏武田宗家滅亡の引き金となった長篠。長篠で織田徳川と戦わなければならなくなった原因ともいえる前哨戦。今後、色々と調べてみたいと思っています。
2016年03月14日
雪景色
今日は、荷物の片付けが終わればオートバイで走ろうと思っていた。昨夜までは・・・
釣りに行くかオートバイかなど、色々と考えたのに昨夜の雨から状況は一変してしった。春の陽気で釣りもオートバイもなどと考えたが・・・結果、片付けの延長でガレージ整理になってしまいまし
ガレージの掃除と、手元のオートバイのエンジンを始動。次回はエンジンオイル交換をする予定です。
さて、修理預かりもののニンジャ号ですが、雪が降る前8日のポカポカ陽気のなか、いつもの峠で調子を確認して来たのですが、タイヤが心配でなかなかバンクする事が出来ずにいます。2006年の第4週の製造。10年前のディアブロコルサタイヤ。しかし、今のところ滑る事も無く普通に走れました。もっとバンクして開けてみる予定ですが、意外にグリップしていました。ツーリングに普通に使うのなら、なんら問題無い冬以外!と今は思っています。
ガレージの掃除と、手元のオートバイのエンジンを始動。次回はエンジンオイル交換をする予定です。
2016年02月15日
いよいよ解禁です!が・・・
待ちに待った地元渓流の解禁!! 当然休みなのですが・・・
実は、法事のために休みを頂く関係で、明日は釣りに行くことが出来ません。で、次週に持越しとなるのですが、当然餌釣り。まあ、先日の雨で増水しているから、まあいいかな~。で、最近は断層や地震の調べ物は一段落し、ここ最近は“甲斐源氏一門”について、色々と調べているのがマイブーム。
子供心にあこがれた戦国武将は、織田信長・武田信玄 この両雄が好きでした。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス これが一番自分でもお気に入りで、自分もそんな感じだと思っていました。そして、信玄公。武田大善大夫源晴信朝臣信玄。色々役柄や位本名等々、長いな~。風林火山は、子供心にカッコイイと思いました。歴史好きなガキで、特に飛鳥から奈良時代。戦国時代が好きだった自分は、信長、信玄に関する本は読みまくった記憶があります。そして今、信玄公はもちろんですが、現在は信玄公の異母弟君、”武田兵庫頭源信實”に関することを調べております。当然、勝頼公と長篠合戦はいの一番に確認する内容です。オートバイも釣りもあまり活動出来ない時期ですので、色々と読んで調べている次第です。それにしても、勝頼公は一般的に言われるようなお館様ではなく、信長公をして、日本にかくれなき弓取りと言われ賞賛された人物であったようですね。この時代は政略結婚と、血筋での婚姻等が普通の時代だったのですね。そう考えると、今は良き時代ですね。
実は、法事のために休みを頂く関係で、明日は釣りに行くことが出来ません。で、次週に持越しとなるのですが、当然餌釣り。まあ、先日の雨で増水しているから、まあいいかな~。で、最近は断層や地震の調べ物は一段落し、ここ最近は“甲斐源氏一門”について、色々と調べているのがマイブーム。

2016年02月03日
ちょうど9年になります。
気が付けば2月。2007年2月11日の第一回から9年経過となります。
我が家のスズキ君を意味もなく載せてみましたが、このスズキ君は初代ジムニーが発売された頃のマスコットなんですね。その昔、偶然見つけて廃却されるところを、もらっていました。ローカル鑑定団で、60,000円の値段が付きました。だれか買いますか?? だれも買わないわな~
オークション出したら面白そうですな。
筆をもどして、早いもので9年か・・・つまらないブログネタばかりですが、読んでいただける方は確実にいてます。うれしい限りですね。今年もすでに一部解禁。今年はテンカラで、近所の本流から木曽、温泉、天竜と本流をいろいろせめて見ますか!オートバイは・・・参州長篠、鳶ヶ巣砦跡に行きたいと思っております。とても意味があるので、ぜひオートバイでツーリングかねて、行きたいと思っています。さて、10年目に突入を控え、釣りにオートバイにとテンカライダーを継続。レース時代の先輩から、継続は力なりの年賀を頂いていらい、座右の銘は”継続は力ない”中途半端でもなんでも、決して途中でやめず細々でも継続。中途半端でも継続。そして10年に突入。
読むと色々と思いだし、良いものですがあまり進歩していない自分が、オヤジなのに情けない。勉強が努力が不足ですか・・・ これからもぜひご覧くださいね。
オークション出したら面白そうですな。
筆をもどして、早いもので9年か・・・つまらないブログネタばかりですが、読んでいただける方は確実にいてます。うれしい限りですね。今年もすでに一部解禁。今年はテンカラで、近所の本流から木曽、温泉、天竜と本流をいろいろせめて見ますか!オートバイは・・・参州長篠、鳶ヶ巣砦跡に行きたいと思っております。とても意味があるので、ぜひオートバイでツーリングかねて、行きたいと思っています。さて、10年目に突入を控え、釣りにオートバイにとテンカライダーを継続。レース時代の先輩から、継続は力なりの年賀を頂いていらい、座右の銘は”継続は力ない”中途半端でもなんでも、決して途中でやめず細々でも継続。中途半端でも継続。そして10年に突入。
読むと色々と思いだし、良いものですがあまり進歩していない自分が、オヤジなのに情けない。勉強が努力が不足ですか・・・ これからもぜひご覧くださいね。
2016年02月02日
雨氷で倒木続出
ミニラ1号の所要のため、助手席にふんぞり返っていつもの峠を通過。新聞を見ればどこそこで孤立、倒木・・・ なるほど、これじゃ倒木になるな~。すごいわこれ。
遠目に見ると諏訪湖もだいぶ凍っている様子ですが、まだ御神渡は無い様子。先日の雨~雪の中で、倒木で孤立が所々でありましたが、いつもの峠もいたるところで撤去作業中でした。これだけ氷が付着したら、重さに耐えられなくなりますわ。遠くから見ると、妙に稜線がきれいに光って見えるのは、雨氷のためでした。これは凄いと思い、写真を撮る事にしたのですが、同じ事を考える人が沢山いました。みなさん写真を撮っていました。
まだまだオートバイじゃ走る事が出来ませんが、もう春はすぐそこです。渓流の解禁、岐阜県では一部解禁していますからね。
きれいに木々に氷が付着しています。見た目きれいでもこれじゃ樹木はたまらんな~。大きな木になれば、氷の重さも相当になるでしょう。これではいたる所で倒木や折れた枝が目に着くわけです。撤去作業の方が一番大変だし、危ない気がしますね。まさかこんな風になるなんて思わなかった。ここまで凄いのは初めて見たと思います。樹氷と大違いだな・・・
まだまだオートバイじゃ走る事が出来ませんが、もう春はすぐそこです。渓流の解禁、岐阜県では一部解禁していますからね。
2016年01月25日
読書?調べもの??
急な所用でほぼ1日消化。中途半端な時間、外は寒いから読書??か・・・
そもそも、長篠合戦から武田家滅亡までの色々を読み、その中で鳶が巣砦での、“武田兵庫頭信實”率いる武田軍団が、後詰軍の奇襲攻撃で壊滅・・・ここから色々と読んでいました。結果、5月には鳶ケ巣山砦から長篠城、連吾川での合戦場所でも、オートバイで行くことにし、ルート検索していた事から始まりました。武田軍団の塩尻峠での戦いから、城跡などを読んでいるうちに、あれからこれと調べる事が飛び火。さらには、長篠城跡には中央構造線が走っている事も知り・・・・ 取り留めもなくなり一息。で、これを書いています。この後は、ゆっくり時代劇専門チャンネルで、暴れん坊将軍を見ると、休日も終わりかという気分になります。
さて、ツーリングで長篠、しかも鳶ヶ巣山砦・・・とは一体どんなセンスか?と疑いたくもなりますが、そこには目的が存在するから良いのです。一昨年の8月。零戦を見たいと思い立ち、悪友ブラザーズを誘い込んで零戦を拝みに行ってしまうあほさ加減ですから、このあたりは良しとしましょう。で、行くならSRげ行こうか・・・と、ずっとSRばかりが足なのです。APE100の代わりがSRですから、当然の成り行きではあります。
何でもそうですが、一つ調べるとここから大きく枝葉の?調べものが増え、結局は中途半端な浅知恵で終わる事は、人生の反省課題かと・・・
さて、ツーリングで長篠、しかも鳶ヶ巣山砦・・・とは一体どんなセンスか?と疑いたくもなりますが、そこには目的が存在するから良いのです。一昨年の8月。零戦を見たいと思い立ち、悪友ブラザーズを誘い込んで零戦を拝みに行ってしまうあほさ加減ですから、このあたりは良しとしましょう。で、行くならSRげ行こうか・・・と、ずっとSRばかりが足なのです。APE100の代わりがSRですから、当然の成り行きではあります。
何でもそうですが、一つ調べるとここから大きく枝葉の?調べものが増え、結局は中途半端な浅知恵で終わる事は、人生の反省課題かと・・・
2016年01月15日
初詣その2 甲斐遠征
所用と目的を兼ねて、初詣の第2弾になりますかね・・・
恵林寺はもちろんですが、武田神社はまさしく初詣と宝物館を拝観する事を目的として出かけました。かねてから、私の生産責任者・・・いや、新年早々におバカな表現は慎み、私の母が訪れたいとの意向をしめしており、昨年下調べもした事とちょうど仕事を開けられる事、さらには母と実家のタイミングも合ったため、急きょ参拝させていただきました。特に武田神社は、まだ初詣ムードがあり多くの方が参拝しておりました。こちらで、ちょっと気になる物を見つけたので購入して来た次第です。それにしても、気候はこれから真冬に向かう11月下旬の様な感じでした。南アルプスも八ヶ岳の雪が無いですね~。来週は雪マークですがどうでしょうね。
旧躑躅ヶ崎館から見る甲府の街並みはとてもきれいに見えました。 しかし凄いな~。まだまだ正月か? 良く考えたら、以前なら15日は成人の日でしたよね。なんだか今は、正月がすぐ終わる感覚になってしまっていますね。
神社の宝物館で販売していた、甲斐国武者鑑と館図等の袋入り。つい買ってしまいました。孫子の旗がここでも公開されていました。今から450年程前この場所は甲斐源氏武田家の館だったんですね。それにしても、軍団と共に北へ南へ西東とよく素早い速度で移動した物ですね。大群大移動の戦国時代。
そりゃ信濃に向かって真っすぐな道を山麓に造りたくもなるわな~と思いますね。
旧躑躅ヶ崎館から見る甲府の街並みはとてもきれいに見えました。 しかし凄いな~。まだまだ正月か? 良く考えたら、以前なら15日は成人の日でしたよね。なんだか今は、正月がすぐ終わる感覚になってしまっていますね。
そりゃ信濃に向かって真っすぐな道を山麓に造りたくもなるわな~と思いますね。
2016年01月12日
釣れる毛ばり入手
久しぶりに寒いですが、バイクで吉江釣具店に出動!
初詣のあと、SRに乗って吉江釣具店にご挨拶。そこで、良く釣れる“爺様毛ばり”を新たに入手しました。ドライとウェットのキジ毛ばり。まあ毛ばりは何でも良いのですが、そうは言っても好みと、釣れるな~と思う毛ばりは存在することを認めます。これは”青柳工房毛ばり”同様に、ぼうずが無い毛ばりです。自作は大王毛ばりのマネ。ほかは、暇な時に出来る分だけ作るいい加減な、自作毛ばりと爺様及び青柳工房のを気分と季節と水量で使い分けています。殆どいい加減ですが・・・ でも、良く釣れるので毛ばりが良いと思いますよ!
お寺の後は、山麓亭で蕎麦の昼食。これが美味いし眺めもよし。バイクで走りに行って、食べてくるのも良いかなと・・・ 地元のそば粉を使用して、地元のおばちゃん達がつくっているのでとても美味しい蕎麦です。これはお奨め!ぜひ食べてくださいね。
2016年01月06日
年末年始の読み物
今年もはや6日が終わろうとしています。年末年始の休みも終了。日頃の休みが少ない分、この様な時にまとめて休みになります。ありがたや。 色々有る中で、読んで見ている本。今回はこちら。
、清和源氏の河内源氏系甲斐源氏の本流である、武田家の歴史。 それも戦国時代・・・歴史が多いく変わる過渡期に大きな存在感を示した、甲斐守護の武田信虎、信玄、勝頼。
甲斐源氏18代嫡気信虎から20代嫡家勝頼までの歴史です。信玄公で戦国大名となり、戦国最強と言われた武田家。時代が大きく変わりゆく中で、信玄公以上の武将と、織田信長公をもって言わしめた武田四郎源勝頼。 日本史で勉強した頃には、武田家を滅ぼした、長篠で負けた事で武田家壊滅に導いたといわれ、だめなレッテルを貼られている勝頼。事実はどうか。そして、個人的に関心のあった鳶ノ巣山砦の戦い。さらには、織田、徳川による甲斐征伐(武田狩り)に及ぶ経緯等。色々な書物を読んで自分なりに思うところがありました。勝頼公は、時代の流れの中で翻弄された武将。これは織田信長公も結果同じ事。後に、流れに乗り基礎をつくれたのが羽柴秀吉。そして現代社会の基礎は徳川家康公がつくった事になります。勝頼公は信玄公以上ともいえる武将だったと思います。ただ、信玄公の功績が大きすぎた。勝頼公も信玄公以上に領土拡大をしたのです。長篠合戦は関ケ原にも匹敵する戦いだったと思います。鳶ノ巣山砦の戦いも重要な戦いではなかったかと思っています。
本当は、もう一冊歴史人の特集について書きたかったですが、地震がらみで気になる事がありました。その内容とは・・・
突然ですが今日、北で水爆実験したらしいですね。中山の地震計の波形ですが、10時ごろ・・・もしかしてこれかなと思い、保存してみました。塩尻の地震計は常に波形が荒れているのでわかりにくいですが、中山の波形ではよくわかります。地震活断層では、あまりに有名に成り過ぎた、牛伏寺断層があります。中山の地震計は10時半過ぎに波形が動いていますが、他ではここまで動いていません。これって実験の振動かな・・・ 松代では観測された様子ですね。
さて、話をもどして・・・次は“長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史)”を読もうと思っています。

甲斐源氏18代嫡気信虎から20代嫡家勝頼までの歴史です。信玄公で戦国大名となり、戦国最強と言われた武田家。時代が大きく変わりゆく中で、信玄公以上の武将と、織田信長公をもって言わしめた武田四郎源勝頼。 日本史で勉強した頃には、武田家を滅ぼした、長篠で負けた事で武田家壊滅に導いたといわれ、だめなレッテルを貼られている勝頼。事実はどうか。そして、個人的に関心のあった鳶ノ巣山砦の戦い。さらには、織田、徳川による甲斐征伐(武田狩り)に及ぶ経緯等。色々な書物を読んで自分なりに思うところがありました。勝頼公は、時代の流れの中で翻弄された武将。これは織田信長公も結果同じ事。後に、流れに乗り基礎をつくれたのが羽柴秀吉。そして現代社会の基礎は徳川家康公がつくった事になります。勝頼公は信玄公以上ともいえる武将だったと思います。ただ、信玄公の功績が大きすぎた。勝頼公も信玄公以上に領土拡大をしたのです。長篠合戦は関ケ原にも匹敵する戦いだったと思います。鳶ノ巣山砦の戦いも重要な戦いではなかったかと思っています。
本当は、もう一冊歴史人の特集について書きたかったですが、地震がらみで気になる事がありました。その内容とは・・・

さて、話をもどして・・・次は“長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史)”を読もうと思っています。
2016年01月05日
こんなの見つけました。
くまともりとひと と書かれた冊子。100円で売っているのを目にしました。興味を持って読んでみると・・・
日本くま森協会の案内冊子。森をまもる熊を守る。そんな内容です。自分は自然保護団体等とは関係ありませんが、色々な動物が里に出て来て農作物を荒らすことや、鹿の被害の対策や、最近エコプロジェクトとかで出来た、間伐材を燃やす施設。には疑問がありまして、色々な意味から目にする本は読んでみています。 熊を守る=森を守る・・・森は人間がもとに戻すきっかけを作り、自然界にも食物連鎖を戻すきっかけを作り、あとは自然に任せるしかないかなとも思いますね。間伐材は有るうちに針葉樹を間伐して燃やす。植林は広葉樹を! 我が家の山も次の植林は広葉樹の苗木を植えようと考えています。そして後はオオカミを連れて来るしかないと思います。と、色々と考えてしまう内容です。100円で、中学生の行動がきっかけです。考えさせられる内容でした。
2年前の新聞記事です。オオカミが北海道で暮らしている様子の写真です。ヨセミテなどでは成功しており、生態系の復元がかなっている様子も書かれています。本土もオオカミと広葉樹の植林。人工林の間伐と縮小が必要なんでしょうね。ところで、エコプロジェクトの間伐材を燃やして発電する施設・・・そもそも、燃やす木がすぐに底をつくだろうに、数年でだめになるんじゃないかと思うのは、素人の浅はかさですかね。間伐して植樹しても、すぐには育たない⇒ほかの地域から間伐材を調達・・・ ここで、人工林がどんどん減らされ、広葉樹をどんどん植樹すれば良いですが、これを鹿が食べる⇒木のない山肌。となってしまう。ならば、オオカミの導入も早急に必要でしょうと考えてしまう。まあ、火山や地震の活動についての意見も含め、素人の考え方です。それぞれの立場で、色々な意見があるから大変ですね。木曽に植樹する中京地方の活動は素晴らしいと思います。


2015年12月14日
お気に入りの本
最近買った本。そして何度も読んだお気に入りの本。ガキのころこんな経験は皆さん有るんじゃないかな・・・
マタギなどに関する出版が多い田中康弘さんの本。子供のころに爺さんや婆さんから、不思議と夏休みになると話して聞かされた話し。そんな感じが蘇る内容です。短編集です。懐かしく感じ、現代の子供は経験していない、いや、否定されてしまう様な内容ですが・・・ これがまた良いんですよね。
この2冊は熊谷達也さんの作品です。子供の頃、田舎の子供なら経験していると言って間違いありませんね。ホンワカと読める懐かしさがにじむ作品。そして虹色・・・は、バイクブームの80年代を過ごし、今も乗っている方なら経験がありそうな作品なんですね。ちょっと読んでみるのも思い白いと思いますよ。
2015年12月01日
ニンジャの整備と・・・
インフルの予防接種のあと、本屋で目にしたバイカーズステーション。お~!ニンジャの整備・・・リアルタイムやな。当然購入
ニンジャを乗り回した時、同誌で見た広告に、この内容の広告を見つけました。成る程~と納得し、今からコツコツとメンテナンスをするため、ガレージに入れました。初めに手さぐりでニンジャの各部を観察し、気になる所をチェック。給油や平行出し、トルクの確認も含めて整備予定です。レストアではありませんので、自然に仕上げてきっちり整備です。乗りやすいし足に使えるいいオートバイですね。
突然ですが、思い立って“恵林寺”参拝して来ました。オートバイで行けるとよいのですが、寒くなったから車です。
今日はゆっくりと見て来ることが出来たので、行って良かったなと思います。 武田信玄公所縁の寺は、菩提寺である恵林寺と、地元西福寺の感じも良く似ていると思います。
今日はゆっくりと見て来ることが出来たので、行って良かったなと思います。 武田信玄公所縁の寺は、菩提寺である恵林寺と、地元西福寺の感じも良く似ていると思います。
2015年11月02日
雨か・・・
今日は最終ツーリングでもと思ったのですが・・・ 雨で延期
先週のいつもの場所。今日の雨で枯葉舞うこの場所になったかなと・・・
なんと3日は祭日ですが何とか休み。寒さを覚悟してツーリングに行く予定です。今回は色々と調子を見るためにZX900Aで行こうかなと・・・
カワサキと言えば、とある思い出がありますがタラればは有りません。さて、SR号は購入当初からいつの峠でペースを上げると、どこに行くかわからないくらいな挙動を示し、ノーマルの乗りやすさと扱い易さの反面、コーナーでの限界は低い物でした。しかしそこは楽器屋のハンドリング。今年はリアサスを少しグレードアップし、フロントフォークのセットも少しバランスを考えてセットアップ。高級な部品は使いません。余っていたオイルとプリアジャスターを追加し、油面調整。リアは自分に合わせ初期の荷重とコーナーでの挙動を考えてダンパーを合わせてあります。果たしてコーナーリングスピードは格段に向上し、スピード限界も上がりました。さらにいろいろとやると高級サス・・・どんどんとバランス良くするとお金がかかるので楽しみは終了。エンジンは燃調とマフラーが来年の計画となります。モンキーとSR・・・実にたのしいシンプルなオートバイです。


なんと3日は祭日ですが何とか休み。寒さを覚悟してツーリングに行く予定です。今回は色々と調子を見るためにZX900Aで行こうかなと・・・
カワサキと言えば、とある思い出がありますがタラればは有りません。さて、SR号は購入当初からいつの峠でペースを上げると、どこに行くかわからないくらいな挙動を示し、ノーマルの乗りやすさと扱い易さの反面、コーナーでの限界は低い物でした。しかしそこは楽器屋のハンドリング。今年はリアサスを少しグレードアップし、フロントフォークのセットも少しバランスを考えてセットアップ。高級な部品は使いません。余っていたオイルとプリアジャスターを追加し、油面調整。リアは自分に合わせ初期の荷重とコーナーでの挙動を考えてダンパーを合わせてあります。果たしてコーナーリングスピードは格段に向上し、スピード限界も上がりました。さらにいろいろとやると高級サス・・・どんどんとバランス良くするとお金がかかるので楽しみは終了。エンジンは燃調とマフラーが来年の計画となります。モンキーとSR・・・実にたのしいシンプルなオートバイです。
2015年10月05日
中央構造線 露頭
2010年のFIモデルSRは、外見をSR400SPもどきにしていますが、グリップをホンダのグリップに・・・
いわゆるロッシグリップと言われた事がありましたね。それのマネをしてもました。フロントのイニシャルアジャスターと共に、楽しい時間。
走りの確認と、グリップの効果を確かめました。
中央の黒っぽい断層破砕帯をはさみ、右が結晶片岩などの南西日本外帯で、左は鹿塩マイロナイトや珪長質貫入岩の内帯の地層です。これを見るため?では・・・無いですが、杖突から美和ダム方面に中央構造線を貫き、SRの走行テスト。断層の勉強と見学及び、SRの確認で一石二鳥。SRはフロントのイニシャルを少し抜くか迷っていますが、これは次回。ほぼ決まってはいます。少し内側に荷重を落とすと見事に曲がるし、峠ではフロントの減衰不足からくる振れは収まり、曲がるスピードも安定感も見事に変化しました。これまでのコストを考えれば上出来です。グリップは中々どうして、握りやすくて手に微振動は来なくなりました。バーエンドの効果かも?と思い、次回はレーシングマシンに使う、硬質ナイロンのバーエンドも試してみます。しかしSRは面白いオートバイですね~。
溝口露頭から眺めると、⇒部分が見事な中央構造線のえぐれなのですが、断層の真上にまたぐ様に造られたダムは、ここだけでしょうね? すごいな~。昔の写真では、ここは広い河原で田んぼがあったようです。杖突を抜けた構造線は、諏訪湖で見事にずれて、早出神社の横河川にそって関東に抜けています。中央構造線が、糸静構造線でずらされたその場所です。
南は分杭峠から見事な谷をつくって、大鹿村を抜けて青崩に抜けて、九州までの構造線。長野県中信地方に住んでいると、いろいろと観察で来て良いものだと思う次第。その昔、筑波も鈴鹿も、富士も・・・サーキットは遠いのですが、どこにも平均して行ける場所とも思いました。
いわゆるロッシグリップと言われた事がありましたね。それのマネをしてもました。フロントのイニシャルアジャスターと共に、楽しい時間。
走りの確認と、グリップの効果を確かめました。

南は分杭峠から見事な谷をつくって、大鹿村を抜けて青崩に抜けて、九州までの構造線。長野県中信地方に住んでいると、いろいろと観察で来て良いものだと思う次第。その昔、筑波も鈴鹿も、富士も・・・サーキットは遠いのですが、どこにも平均して行ける場所とも思いました。