2016年06月29日
修理とお寺さんと・・・
昨日、ここ1か月くらい前からついにというか、ボロボのABSが完全に故障。その顛末は・・・
このタイプのABSはモジュールの中で接触不良となるようです。で、やっと時間がとれたのでモジュールを修理した物とそのまま交換。勿論結果は良好です。モジュールを割って、2か所のコネクターというか、基盤をハンダ着け。予備のモジュールを用意して、修理済みで交換。それにしても、取り付けねじの頭がナメテしまい荒業で修理完了です。この前交換しようとしたら、ねじ用の工具が手元に無く、他で代用したら見事に失敗です。で、昨日はきちんと修理をしました。これでまた大丈夫。代替えかとも思いましたが、ついつい車検取得。XC70かV60CC、またはV70・・・か、V40CC 乗るんなら?乗れるものならか・・・ このいずれかにしたいと考えていますが、お気に入りの愛着あるボロボは、中々手放せそうにありません。
そして、裏趣味?の地震火山地質、というか断層マニアな自分に、確実にライフワークとなりつつある裏趣味第2弾。趣味と言うより、やらねばならぬ事?とか・・・
“武田兵庫頭信實” 信玄公の異母弟にして、その生涯と言うか資料も無い。突如、かの長篠の戦いで討ち死に! この事くらいしか知られてはいません。信玄公が開基した西福寺のご住職にお話を伺いに行ってきたのです。 以前、この場に書いた事もあるのですが、西福寺の後ろは上野山城。そしてののふもとには館があり、西福寺も開基。信濃侵攻でこの場所は武田家の統治下になりました。そして三嶽神社と西福寺。ここに信玄公からの命で、長坂釣閑斉が采配したようです。そしてこの場にとどまったのが信實。上野山城も信實の館も、やがてくる長篠の翌年、天正4年、勝頼公からの知行で信實の後を継ぎ、その子、川窪淡路守源信氏が受け継ぎます。信實家督は、新十郎信俊が継ぎ武田家滅亡後は徳川家の旗本となっていきます。
その一方、信氏は甲斐征伐で討ち死。13歳でこの地で信氏家を開祖し、19歳で生涯を閉じました。 ここでは書ききれない程色々とありますが、ずっと調べていくことになりそうです。断層マニアに続き、戦国武将マニアってか??
“武田兵庫頭信實” 信玄公の異母弟にして、その生涯と言うか資料も無い。突如、かの長篠の戦いで討ち死に! この事くらいしか知られてはいません。信玄公が開基した西福寺のご住職にお話を伺いに行ってきたのです。 以前、この場に書いた事もあるのですが、西福寺の後ろは上野山城。そしてののふもとには館があり、西福寺も開基。信濃侵攻でこの場所は武田家の統治下になりました。そして三嶽神社と西福寺。ここに信玄公からの命で、長坂釣閑斉が采配したようです。そしてこの場にとどまったのが信實。上野山城も信實の館も、やがてくる長篠の翌年、天正4年、勝頼公からの知行で信實の後を継ぎ、その子、川窪淡路守源信氏が受け継ぎます。信實家督は、新十郎信俊が継ぎ武田家滅亡後は徳川家の旗本となっていきます。
その一方、信氏は甲斐征伐で討ち死。13歳でこの地で信氏家を開祖し、19歳で生涯を閉じました。 ここでは書ききれない程色々とありますが、ずっと調べていくことになりそうです。断層マニアに続き、戦国武将マニアってか??
Posted by テンカライダー at 22:40│Comments(0)
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