2010年01月07日
83年のレース
83年のレースといえば、オートバイレースファンならばフレディーとケニーの戦いを思い出す?それとも全日本の500ccで、出場レースは全て勝ったのに、最終の日本GP〔スズカ〕で、フレディーを追いかけて転倒した木下選手と平選手を思い出すか・・・
そんな色々とドラマがあったオートバイレース。実はノービスクラスではちょっとした彗星が現れていました。当時、250ccクラスはTZがノービスからA級まで使われていました。83年の全日本ノービス250は、ランク1位が宮城さん。そして2位が天田さんでした。その2位の天田さんが83年のシーズン終了後、当時開催されていた筑波フェスティバルに国際Bクラスで出場。すなわち、国際Bに昇格直後のAB250ccという事になります。そのレースで82年の全日本チャンプで、83年は世界を転戦した福田さんとバトルをして2位になったのです。そして直後に昇格申請して、84年の1月には国際A級の天田選手誕生となりました。写真は緑(B級)ゼッケンで走った最初で最後のAB250での写真だと思います。さて、この時は驚いたのですが、のちにもっと凄いことがありました。たとえば、ノービスライダーが世界GP転戦チームと契約し、いきなり世界GPに出たとか、地方から一気に世界に出て125ccクラスで世界チャンピオンになった青木選手とか・・・・ 天田選手はその先駆けの様に感じました。こんなことを夢に描けたレース会でした。今のレースも夢が続かないと盛り上がれないきがします。と、いやな事が有った日には、昔のことを思い出していると忘れます。そのネタって釣りよりも、オートバイの事が多いと気が付きました。ガキかも知れませんが、16歳の夏から現在まで、ずっと乗っていられる事は幸せな事だと思います。移り気の自分が継続しているのは、オートバイと釣りだけか・・・・ しかし、”継続は力なり”が座右の銘なのですが、この二つとも力になっていない様な気がします。中途半端だからかな。

Posted by テンカライダー at 22:07│Comments(0)
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