長篠合戦場 珍道中?
5月12日 ずれて連休のこの日快晴! 武田騎馬軍団崩壊の場所。戦国時代の転機となった合戦の場所。
長篠城、ここから見ると確かに難攻不落の城で、武田軍団が何度も落とせなかったお城なんだなとわかるような気がしました。しかし、寒狭川でかいな~。鮎もアマゴもよさそうな川に見えました。出かけた道は武田勝頼の敗走した道。まあ、飯田から三州に抜けるには、これが一番行きやすい道なんでしょうね。途中には信玄公所縁の場所も見受けられました。
武田川窪兵庫頭源朝臣信實公が、ここを見下ろし監視した鳶が巣山砦ほか。本丸から良く見えます。時間の関係で鳶が巣は次回に持越し予定ですが、次回は鳶が巣、勝頼本陣などに行ってみたいと思います。本丸から鳶が巣に向け、信實公以下戦没者に黙祷。
ここが有名な決戦場。鉄砲vs騎馬の戦い。その昔の一騎打ちの戦から集団戦法になった源平合戦。そして人馬の戦法から近代化の鉄砲になった長篠。過去の歴史でも小学生の頃から勉強した長篠の戦いはこの場所だったんですね。これじゃ騎馬は無理だし、鉄砲がそこそこあれば勝てないと思います。それにしも、信實公の資料は無いに等しい。もともと、松本侵攻のさい塩尻峠の戦いや桔梗が原の戦い等。塩尻西条地域に武田軍が陣をはり上野山城から伊那への街道一帯を統治し、この地域に西福寺をつくるなどしたのがお館の命で西条に残留部隊となった信實公。少数の配下でいわゆる隠密系の部隊。のちに甥の勝頼の命で鳶が巣で討ち死に。天正10年参州長篠討ち死 享年47歳で間違いないと思います。話はそれましたが、その参州長篠。この日は初夏の陽気で気分よく走る事が出来ました。
行く途中の設楽で出会ったニンジャ。浜松ナンバーの方と話したのですが、自分が乗っていたニンジャを見て、A10ですね~と声をかけて頂きましたが、そうとうなニンジャ使いかとお見受けしました。好きな方はわかるんですね。
そんな自分は、限定解除した92年頃?? 何を買おうかと思った時、乗り易そうだしニンジャかな・・・とカタログをもらった事が懐かしい。その後、奈良の帰り道に伊賀上野の忍者屋敷にて、友達が刀ならおれは手裏剣だ!とお土産に買った手裏剣。懐かしい。ニンジャにのって、刀に手裏剣攻撃してやる!と、刀乗りに宣戦布告した頃は懐かしいし若かったと、楽しく思い出します。次回は、数年ぶりに上田城から海津城、川中島古戦場にでも行くとするか・・・
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